マクラーレン スピードの達人

成功へのユニークな道

「人生は生きた年月ではなく、その業績で測られる」 ブルース・マクラーレン

マクラーレン以前、F1の各チームは持てる資源を「フォーミュラ1 ワールド・コンストラクターズ・チャンピオンシップに勝つ」というただ一つの目標に注ぎ込んでいました。同チームは、ロードカー製造業者に目を向け、インディアナポリス500、カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ、そしてル・マン24時間で優勝し、フォーミュラ1ではドライバーズ・チャンピオンシップとコンストラクターズ・チャンピオンシップを4回連続で制した唯一のチームです。

タグ・ホイヤーはこの壮大な冒険に1985年から参加しており、2015年はそのパートナシップの30周年にあたります。時計ブランドとフォーミュラ1チームのコラボレーションの中でも最長の例であり、両者のパートナーシップの歴史にはアイルトン・セナをはじめとする伝説的な名前がひしめいています。それは、実績、正確さ、名声、そして革新という共有の価値観を強化しています。 すべての要素は整っています。この記念すべき年をふさわしい方法で祝うため、展示会のみで特別に、レッドとブラックのリミテッドエディションであるタグ・ホイヤー フォーミュラ1が披露されます。

タグ・ホイヤーのように…


1963年、26才の青年ブルース・マクラーレンはイギリス、サリー州の狭いワークショップでレーシングカーを組み立て始めました。

彼はグランプリに優勝する前年にはすでに、母国ニュージーランドとアメリカにおいてドライバーとしての名声を手にしていました。その3年後には自身の手で作製し、その名を冠したマシンでフォーミュラ1を再び制します。しかしその4年後、彼の最新デザインカーのテスト走行中に激しくクラッシュし、命を落としました。「人生は生きた年月ではなく、その業績で測られる」と彼は亡くなった同僚のために書き記したことがありました。これはそのまま自身の墓碑銘となりました。モータースポーツ界に残したブルース・マクラーレンの遺産は計り知れないものがあります。現在マクラーレン・テクノロジー・センターは2000人を雇用し、F1カーのみならず、世界で最も羨望されるスーパーカーの数々を生産しています。またマクラーレン・チームは、フォーミュラ1のチームの中で最多の優勝回数を誇ります。さらにマクラーレンは1966年のF1初参戦以来最も成功したチームと言えます。北アメリカのCan Am・スポーツカーシリーズでは1967年から1972年の間に圧倒的な強さを見せて43勝を挙げ、インディ500では1972年から1976年の間に3度優勝、そして1995年には初参戦したル・マン24時間レースで勝利しています。チーム・ドライバーのエマーソン・フィッティパルディ、ジェームス・ハント、ニキ・ラウダ、ミカ・ハッキネン、キミ・ライコネン、ルイス・ハミルトン、フェルナンド・アロンソ、ジェンソン・バトンらは誰もが知るモータースポーツ界の伝説となっています。アラン・プロストとアイルトン・セナの二人はモータースポーツ史上最大のライバル関係にありました。そして彼らは共に戦ったチームのように、またタグ・ホイヤーのように勇気、野心、ヴィジョン、他の誰よりも努力する能力を備えたレースにおける最強の存在です。タグ・ホイヤーとマクラーレン、それは何があってもプレッシャーに負けないパートナーシップなのです。

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